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内科秘録

脚気
脚気は初て金匱要略に出づ、隋唐に至て腫の有る者お温湿脚気と為し、腫のなき者お乾脚気と雲お二証に分つ、夏秋の間に行はるヽ雑気病にして、一び感ずるときは毎年之お患ひて、宿疾のやうになり、内因病に似たれども、実は外感にして内因に非ず、其人の資質脚気に感じ易く、毎年脚気行はるヽときは之に感ずるにて、宿疾の再発するに非ず、譬猶瘧疾に感じ易き者、年年瘧お患ふるが如し、千金方に風毒脚気と称し、外感と為して桂枝、麻黄、防風、羌活等の発表袪風の剤お用ひたるは自然の発明なり、南宋以降多くは腎虚と為して、漫に強陽滋陰の剤お用ゆるは大なる謬なり、金匱要略に脚気へ腎気丸お用ゆ、腎気丸は即腎薬にして、且脚気は身体痿弱して陰茎までも痿するものなれば、此等のことにて脚気お腎虚と心得たる者なるべし、本邦嘉元の頃、梶原性全万安方お著し、独能く古方お守て補剤お用ひず、正徳享保の際に至て、山脇道作、望月三英等、初て千金外台の方法お撰用して、疎利お専務としたるは卓見と謂つべし、