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医学天正記
乾上
瘧疾( ○○)
一陽光院殿、〈御年近四旬〉瘧疾三発、二日に一発、召予、依殿下之命在大坂、備前宰相公御内儀煩依て也、故半井通仙軒御薬進上、服薬之後又三発、発日之朝、通仙截薬お進上、色散約也、服薬之後、半時許而心中惕々而精神如酔、一身班紋出、吐血数碗、而経二時許而忽薨玉ふ、通仙色お変じて、山科薬は誰も所持なきやと雲、傍の人の曰、さては今朝の截薬砒霜の入たるなるべし、〓別半井の家に瘧の截薬の秘伝に、砒霜の入たる丸薬あり、是は粉薬也、丸薬無之故俄に粉薬進上して如此、半井流お伝受したる人語らる、