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南蛮寺興廃記
南蛮寺は、此群集の人には聊も構はず、洛中洛外へ人お出し、或は山野の辻堂、橋の下等に至るまで尋捜、非人乞食等の大病難病等の者召連れ来らしめ、風呂に入れて、五体お清め、衣服お与へて、これお暖め、療養しける程に、昨日の乞食、今日は唐織の衣服お身に纏ひ、病も自ら心よく快復せる類多し、就中癩瘡等の難病、 南蛮流の外療( ○○○○○○) お受け、数月お歴ずして全快し、誠の仏菩薩今世に出現して、救世済度し給ふなりと、近国他国風説区々なり、故に諸国の大病難病に侵され、貧賤にて我力に協はざる者、或は諸医の療養に治すること能はざる者、貴賤共に南蛮寺に群集すること斜ならざりけり、こりやりいす両いるまん、悉く是お南蛮寺に留めて、良医お施し、医療半に快復する病人共お率ひ、是等に説て曰く、〈○下略〉