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日本医道沿革考
亮按ずるに、〈○中略〉我邦古昔目医の称ありて、是お以て専門と為すが如し、然れども中世以後全く其伝お絶し、亦載籍の伝る者なく、今に至り其療法の如何お知る可からず、慶元以還、医学興起するに随て、世上往々是術お以て業と為す者ありと雖も、皆是れ家伝口授に依り、従来の局方に泥み、一も取るに足る者なし、蓋し此術の世に明なるは、独逸人 西保爾多( しーぼると)より伝る者多しと雲ふ、西保爾多、文化中蘭人と冒称し、長崎に来る、頗る良医の名あり、高良斎、