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譚海

今時は、すべて技能の事も精密になりて、入眼、入鼻などいふ事お考へ出し、かたわなる人も、療治お得れば、平常の人に異なる事なきやうにみゆる也、番町の御家人の何がしの息女、片目あしかりしお、入眼せしかば、よき目よりはよくみなさるヽやうに成たり、但それ志りて心おとめてみれば、人見のはたらかざるゆへ、入眼の事とは志らるれども、うちつけにしらぬ人の指向ひたるには、さらに入眼成とも見わけがたきほどなり、其のち、此息女がたわおかくして、媒介によりて、婚娶の事さだまり、縁付たりと雲、又大門通に、馬具おあきなひするもの、師走ころ、牛込の辺へ馬具のあたひお請取に行たる帰路に、夜陰、盗賊にあひて切付られ、にぐるとて鼻お切落されぬ、にげ帰て、いそぎ入鼻の医師お覓て、療治せしかば、木おきざみて、鼻の形になし、付そへたりしに、元来の鼻の色と少もたがふ事なく、寄特成る事に、人もあさみいひたり、但酒徒成故、沈酔におよぶときは、顔色あかく成に志たがつて、鼻の色ばかりかはらず、たしかに入鼻わかれて見えたりとぞ、