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完永系譜
三百九十五宇多源氏
吉田 宇多天皇十代の孫、佐々木吉田六郎厳秀九代の後胤なり、徳春〈○註略〉 宗林〈○註略〉 宗忠 浄林〈○中略〉 周三〈八十一歳にして死去〉宗桂〈意安〉 友佐宗活機庵と号す 法橋 天正十九年五月六日、洛陽に生る、十五歳より、施薬院宗伯、寿命院立安にしたがひて、医術おまなぶ、みづからおもへらく、当世名医、その人に乏しからず、しかれども小児の医となるものすくなし、こヽにおひて洛の妙心寺にゆき、庸山禅師にしたがひ、小児の医おまなびて、はなはだ勤たり、庸山小児の医術おもつて時に鳴、その学、渭竹よりあひつたふといふ、元和三年越後の少将光長、三歳のとき、疳痢おうれふ、諸医おまねきこれお療ずれども、数月におよびて志るしあらず、ときに台徳院殿〈○徳川秀忠〉板倉伊賀守勝重に命じ、京洛の児医おして、これお治せしめたまふ、こヽにおひて、宗活その撰にあたり、越前にゆき、医お献ずる事数占にして平復あり、〈○下略〉