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叢桂亭医事小言

医学〈○中略〉
子玄子一たび出で、千古の惑お解て、天下始て産乳の理お知ることお得たり、〈○中略〉子玄子は、産論に小伝あり、その神奇の事は、今讃するに及ばず、其術の始お語らるヽお聞に、この時より此事お考つけて、此術は始たりと一々に奇異なること、人意の表に出づ、隻字の無き人故に、其事皆俗事より発すれども、 暗に紅毛の説に符合する( ○○○○○○○○○○○) は、天の告るに、子玄子お以てせる歟、其頃は、紅毛学今のやうには行はれざる時なり、又常に語らく、往時は寒窶にて、古銅鉄器お買て生とす、殆窮せり、仍て按摩お取り世お渡るに、隣店に難産あり、急に作意にて術おまうけて救之、是お斯道の始とす、四十余歳の時なりと、夫より十四五年の間に天下に名お振ひ、一家の祖と仰がれたり、其時より、一貫町に住せる故に、又他に移るべからずとて、其処に隠居す、性任侠なることは、東門の序文に見ゆ、極めて世の物体なるお悪む、或時一富商の婦、産後血暈して、数名医お迎るに不蘇、雪中に子玄子お延くにより、常には紫の被風お著し、はなし目貫の短刀にて、駕籠にて出られけるが、其日には、銀拵の太刀作、朱鞘の大小お帯し、草鞋おはき、其門に至れば、幾つも駕籠おならべ、供も大勢居たり、やがて玄関にしりうたげし、高く呼で湯お一つ呉られよ、足お洗たし、上工の医者は駕籠には乗れども、治方は知らず、賀川玄悦は、草鞋に乗りて来れども、指が一本ちやつとさはれば、立どころに治すと、満座の時師の並居ところお、思ふ儘に亢言すれども、一言の返答するものなし、産室に入て禁暈術お行ひ、房より出で、各御太儀、暈おば玄悦療じてござる、是からは各の手に宜きほどなるべし、今より帰んと欲す、夫とも又、悪くしたらば早く迎おつかはされよと、玄関の真中にて草鞋おはき、傍若無人なること、皆此類也、