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奇魂

刺法( さすわざ)
尚古鍼お用しさま、書亡たれば詳ならず、されど、はりと雲名は、いと古く物に見えて、〈○中略〉近古には、浪華の人江大元と雲人、万病刺に宜き由、刺血絡正誤と雲に論ひ、都に在て、垣本鍼源と雲し人、此術にて諸病お治し由、熙載録といふ書に詳也、近くは荻野氏、刺絡篇と雲お作たり、さるお紅毛法の流行しより、皇国に初たり抔思人もあめるは過也、〈されど、猶右の人の等も、上世より有し事は知ざめり、中にも荻野氏は、紅毛の説と、内経の法とお以て撰ばれて、文は高く聞ゆれども、術は拙かりけん、総て右の書等は、言痛き説多くて迂遠し、其中に、治腫方、刺血、絡正誤、熙載録は、文拙けれど、漢紅毛に依らず、術は精く、平常実事によく用けらし、されど三輪匡明大人の漢紅毛の理論お棄て、万病唯淤血より成と雲て、悪血お瀉すお主とし、薬お佐としつヽ、且蕃薬お物せで、彼国法お学ぶ医の、古来難治とせし病お直されて、人お驚されたる事多には如ず、我此術は此大人に学たり、〉又北国の俗、古より 豆嚼( まめかみ) と雲病に血瀉する術お用る由、二神伝と雲に記し、〈加賀国小松人、小谷数馬と雲に逢て此事お問しに、答けらく、我里の東山中なる村々、又白山麓の里人は、淤熱有者お然なすと雲り、〉越前の俗、卒倒たる人あれば、其舌尖に針して、黒血お走せて、蘇す術お伝たる由、漫遊雑記にも記し、紀国の和佐氏、通矢と雲物お射んとせしに、手つき健ならぬお、刺させて射しに、作験有て、終に其志お果しヽ由、又土佐国人は、風引たるに、肩より血お取る由、或書に記せり、又楠氏軍法に、手足より砭て後、征と雲り、〈身お健に為也、〉又馬等専ら刺も古伝也、