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建内記
文安四年四月廿九日庚寅、滋野井宰相中将実益朝臣、四十四歳雲々、午刻薨逝了、彼系図之様、人々能不知候、父者公完歟雲々、〈○中略〉昨日又平生無相違、暮喰之後、足の裏めいらくとて顚倒及一両度、食物腹中にたちあふとて辛労、我は酔たりと人は思べしなど雲て、つよく笑けり、医師〈松井〉〈の少輔雲々〉取脈、称中風、但無殊事雲々、其後事之外に寝入たり、又取脈之処、散々脈也、不可協雲々、竹田 立針( ○○) 、〈 口頭足( ○○○) 〉足の針こたへけり、然而無正体之間、医師退出、