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保元物語

新院左大臣殿落給事
左府〈○藤原頼長〉は、〈○中略〉東の門より御出有て、北白河おさして落させ給処に、いづくよりか射たりけん、流矢一筋来て、左大臣殿の御頸の骨に立、成隆是お抜て捨たりけれ共、血のはしる事、水はじきお以て水おはじくに不異、然ば鐙おも踏得ず、手綱おも取得給はずして、真倒に落給へば、成隆朝臣も落てけり、式部大輔盛憲、左府の御頸お膝にかきのせ、袖お御面に掩て泣居たり、蔵人大夫経憲も馳来て、抱付奉けれ共甲斐もなし、延頼は松が崎の方へ落行けるが、是お見奉て甲冑お脱捨、経憲と共に小家の有けるにかき入れ進らせて、先疵の口お灸し奉けれ共不協、次第に弱り給ひけり、