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志都の石室

さて是より、巫祝の業おば、次にいたして、薬お食すことお専として、其に片付て居る者も、だん〳〵出来て、周代になりては、巫祝は巫祝、また医お為る者は医と、別に立て、周礼の天官などお見れば、医師と雲ものが有て、是は掌医之政令、聚毒薬以共医事と雲ひ、また疾医と雲が有て、これは掌養万民之疾病と記し有るとほり、かやうに分だつて来たに依て、以前の如く、巫彭巫咸などやうに、頭に巫字お附て雲ことお止て、かの近くは、春秋の左伝などには、医お業といたしたる者おば、皆頭へ医字おそへて、医緩医和などやうに雲ことヽ成た物でござる、其のち隋の代と成て、古へは医も巫祝も、一物で有たることの、古実に依た物と見えて、尚医局と申て、医のつめ居る、雲はヾ役所へ、呪禁博士と雲ものと呪禁生と雲者とお置き、猶もこれは医の次へ立て、其呪禁博士といふが、呪禁生と雲に、呪禁祓除などのことお教へて、病人ある時は、医と共々に取掛つた物でござる、これは唐の六典と申す書に、具に見えます、御国とても、右の通り、二柱神が、医薬と禁厭とお御始あそばしたる、正しき古伝説もある程のことゆえ、別してのこと、其上御国の令の御制は、多く唐代の制お御用ひなされたる物ゆえ、此訣が符合と雲ひ、かた〴〵以て直に典薬寮と申て、医者方の詰居らるヽ御役所へ、諸越と同やうに、呪禁博士、呪禁生と雲お御立あそばし、これは医疾令の御文面、またその義解の言に依れば、何のことも無く、呪文およみ、又は加持やうの事おして、病邪お去り、また右の神代御紀に、鳥獣昆虫の災お攘はんが為に、其禁厭之法お、大名持少彦命の御始なされたるとある通り、其おまじなふ業お致した物でござる、