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じえんなー種痘発明百年期紀年文集
種痘考〈中略〉
中川五郎治
もーにつけが牛痘お齎せしより前、松前の人中川五郎治、種痘の術お露西亜より伝へ、文政七年、天保六年、天保十三年の悪痘流行の際に、奮て其術お施して、為に惨毒お免れたるもの多かりしと雲ふ、中川五郎治は、松前にて夷人お使役する部落の役人〈毒人と名く〉なりしが、文化五年卯の歳、えとろふ島にて露西亜国に禽れ、彼国おほーつか、いるこつか等に在るの間、彼国官医の種痘術お施すお見て、之お我邦に伝へんと欲し、助手となりて接種法お伝習し、且牛痘種法の書二冊お得て、後我邦に帰れり、其後松前侯に仕へ、名お儀重郎と改め、七十余歳にして歿せりと雲ふ、