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除痘約論
小引
吾此邦域に於て、痘の尚多く行はるヽことお知る、痘痕ある人民の火しきに因て確然たり、且今日に至りても、此軽易ならざる病〈伝染病、即ち痘えぴでみーお指す、〉の長崎に行はれて、幾多の生霊お殉ぜしむるお目擊す、嗚呼哀哉、此の病の未だ根お断たざる所以は他なし、之お防制すべき種痘の法ありと雖も、尚旧に依て、狐疑おなし、無根の怖畏お懐き、之お行はざる者の多きに因る、此の怖心お鎮定し疑団お解釈し、如何様に種痘すべきやの的応の術お明かし、且此手術の鴻益お弘くせむが為に、吾意お決して、此小冊お刷工に附して、以て世に公布す、痘の紀載お各条に派分して、詳にせむことは吾が素志に非ず、此略説は、唯日本の医家おして力お勠せて、種痘お勉強し、且つ謹慎して此術お施さむことお精思せしめんが為のみ、
然れども此術お公行し、普く世民お済救せむこと、凱唯医家のみにして、能く之お倣し得むや、故に吾此事務お以て、有司に託して、其周施お希望す、斯く此術お重んずる、凱之お無益と謂はむや、亦吾が婆心のみ、翼くは各地方の官員及里保郷正、深く此意お体して、懇に毎家の慈父に諭告し、各此簡説お忽諸すること勿らしめよ、
日本の民庶、苟も此術の伝播に頼て、彼の猙獰険悪なる劫病お脱離し、益蕃息するに至らば、則ち吾願方に足り、吾労空しからずと謂ふべきのみ、
西暦一千八百五十七年第十二月二十日
安政四年十一月五日 出島に於て識す
王国海軍第二等医士
体百( ぽむぺ) 方( ふはん) せ徹貨爾多( めーるでるふおーるど)