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蘭学事始

一通り訳書出来たれども、其頃は、蘭説といふ事、少しにても聞及び聞知る人絶てなく、世に公にせし後は、漢説のみ主張する人は、其精粗お弁ぜず、これ胡説なりと、驚き怪みて見る人もなかるべしと思ひ、先づ解体約図と雲ものお開版して、世に示せり、是は俗間にいふ、報帖同様のものにてありたり、〈此業江戸にて首唱し、二三年も過しころ、年々拝礼に参向する阿蘭陀便にて、長崎にも聞伝へ、蘭学といふ事、江戸にて大に開けしといふこと、通詞家などにては、忌み憎みしよし、左もあるべし、如何さま其ころまでは、彼家々は、通詞迄の事にて、書物読みて翻訳する抔といふこともなかりし時節にて、冷めしおさむめしといひ、一部一篇とも訳すべきえーんでーるといふ語お、一のわかれ二の分れと和解し、通じ合ひて、事済む様なる事にてありしと見へたり、猶医説内景抔の事に至りては、誰一人知る人なき筈なり、或る一訳士、此約図お見て、げーるといふものは、身体中にはなし、がるの誤なるべし、がるは即ち胆なりと不審せしとなり、但此前後よりして、翁が輩、関東にて創業の一挙ありしにより、其根元たる、西肥の通詞輩の志おも大に引立しこと知るゝなり、〉