[p.0969][p.0970]
奇魂

診候法( うかゞふわざ)
凡病状お察んには、脈お候ふお主とすれば、誰も最精くせではならぬわざなるお、漢にて難経、脈経等に虚説お記たるお初として、名だゝる人々多けれど、各少の異こそあれ、大方は同義にて、寸、関、尺、三部、九候など雲名お立て、天地人、五臓、六腑、陰陽、五行抔配当て、理深げには雲めれど、誰もえ詳にせざめり、此にても其訛お伝て、殊に脈学お主とする者は、深く泥て実事には愈疎くて、大方の医は、謾に病人の手お按て、知がほにしなしつヽ過めれど、実には知難き物と思定て、是お明めんとする人お、却て愚かなるが如にさへ雲めるは、いとも〳〵歎はしきわざかな、抑精神お助て、混身の活動おなす物は、気と血と也、気血同物にて、気は血中に起り、血は気裏に成て、各後れ先だゝず、起居ること、雲と雨との如く、軀お循環ときは、血其体にて、血の脈に流るゝこと、猶川の水有が如し、〈○中略〉若いさゝかも病有時は、其源異なりといへども、皆血に関らざるはなく、既に血に関れば、血即病体となる也、其病体お候んとするには、其血の動静と、其血の色とお見に如はなし、其血の動静お候は脈也、其血色お相は舌唇也、血は形にして、脈舌は影也、形影相離ざる物なれば、其影お見て其体お知、是より邇はなし、〈○中略〉さて舌唇は、喜怒の顔に形はるゝが如、腹臓の表なれば、腹内お穿見たらんよりは著かりなん、譬ば舌唇は肉の如、邪気は火の如、其赤肉お一炙れば白く、二炙れば黄に、三炙れば黒くなるが如し、又固疾は脊に著て蟠れるものなれば、其脊の方より、腹へかけて、形のあらはるれば、病所在お知んには、其本なる脊お候に如はなし、我脊お相るわざお 発明( あかし) えて物するに、其益少からず、然か眼前其活人の相お徴として、活る病お治るわざにしあれば、さてこそ取もあへず神ながら自然なる術にて、皇国外国古今の学にも論にも及ばず、かばかり実事に捷径はなけれ、熟く此義お得れば、我住庵の辺に生たる草木お採ても、万病は治得べし、