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温泉考
近頃、京都の後藤左一の門人香川太冲のあらはすところの薬選といへる書お見侍りしに、その続編に温泉のことお論じて、温泉、硫黄にて沸くといふ説おうけがはず、稲若水の説お引ておもへらく、地中に水の筋あり、火の筋あり、その火の筋、水筋に出会へば、温泉となるといへり、その説是なることは是なり、しかれ共甚疎なり、まして是游子六の説お拾ひしものにして、若水はじめて唱へし説にはあらず、しかし天経或問は、近頃渡りし書なれば、若水は、万一これお見ずして、偶その説の暗合せしもしれざれ共、太冲の游子六の説なることおしらずして、若水初て唱へられし説なりとおもへるは、深く考へざるあやまりなり、又太冲の説に、硫黄といふものは、温泉によつて生ずるものなり、硫黄はすなはち是湧泉の発する滓なりといへるは、是又あやまりなり、右にいふごとく、温泉も地中の陽火にて湧き、硫黄も地中の陽火、土中の膏液お蒸しこらすものゆへに、硫黄と温泉とつれそふことはつれそふ理なれ共、必竟ずるところ、温泉は温泉、硫黄は硫黄、たとへば地中の火は母にして、温泉と硫黄は兄弟なるがごとし、故に硫黄温泉お生ずといへるは、もとより非なり、又温泉硫黄お生ずといへるもあやまりなり、それゆへ温泉ある所、硫黄のなき所もあり、硫黄のある所、温泉のなき所もあり、又いづくにても、海底の泥おほくは硫黄の臭気おなす、温泉の滓なりとはいわれぬことお知るべし、〈○中略〉
扠温泉のあまり熱きはよろしからず、又ぬるきはもとよりよろしからず、たゞ温柔和煦なるおよしとす、香川太冲の説に、温泉は極熱のものおよしとす、極熱の熱勢、人の元気お助け、元気お滾動して、沈痾お起し、癈固お発すといへるは、笑ふべきの甚しきなり、元気お助け、元気お滾動すといへる字お下す事の笑ふべきのみならず、いまだかつて元気の字義おしらざればなり、しかし元気の論は、あながちに此書の主とする所にあらざる故に、その説のつまびらかなることはここに略す、温泉の能毒のわかるゝは、あつきとぬるきとによることにあらず、湯筋の差別によることなり、故に極熱の湯にも寒冷の性おそなへし温泉あるべし、煎湯は熱湯にても、石膏の煎湯は寒性なるがごとし、又さまで極熱にてなく共、外の物にそまず、たゞ純陽硫黄の気ばかりお土中にて触そゝぎて出来たる温泉ならば、その性温にしてよろしかるべし、故に温泉おえらぶは、たゞ異気に染むかそまぬかおとくと吟味し、自然天然うぶのまゝなる水筋の湯硫黄の気ばかりにふれそゝぎて出来る湯のあつからずぬるからず、身にふれて、温柔和煦既に浴して後、腹蔵肌膚、表裏内外、煦々温暖の気やゝしばしやまざる湯お極上々の良湯とおもふべきなり、筑前の貝原篤信も、熱湯には浴すべからず、温なるおよしとすといへり、此ことはよしとすべし、