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夜船閑話
或人曰く、城の白河の山裏に、巌居せる者あり、世人是お名けて白幽先生と雲ふ、〈○中略〉予則ち礼お尽して、苦ろに病因お告げ、且つ救ひお請ふ、少焉幽眼お開ひて熟々視て、徐々として告げて曰く、〈○中略〉夫観は無観お以て正観とす、多観の者お邪観とす、向きに公多観お以て、此重症お見る、今是お救ふに無観お以てす、また可ならずや、公若し心炎意火お収めて、丹田及び足心の間におかば、胸隔自然に清凉にして、一点の計較思想なく、一滴の識浪情波なけん、是真観清浄観なり、雲ふ事なかれ、しばらく禅観お〓下せんと、仏の言はく、心お足心におさめて、能く百一の病お治すと、阿含に酥お用るの法あり、心の労疲お救ふ事猶妙なり、天台の摩訶止観に、病因お論ずる事甚だ尽せり、治法お説く事も、亦甚だ精密なり、十二種の息あり、よく衆病お治す、臍輪お縁して豆子お見るの法あり、其大意心火お降下して、丹田及び足心に収るお以て至要とす、但病お治するのみにあらず、大ひに禅観お助すく、蓋し繫縁締真の二止あり、締真は実相の円観、繫縁は心気お臍輪気海丹田の間に収め守るお以て第一とす、行者是お用るに大ひに利あり、古しへ永平の開祖師大宋に入て、如浄お天童に拝す、師一日密室に入て益お請ふ、浄曰く元子坐禅の時き、心お左の掌の上におくべしと、是即ち顗師の謂ゆる繫縁止の大略なり、顗師初め此の繫縁内観の秘訣お教へて、其家兄鎮慎が重痾お万死の中に助け救ひたまふ事は、精しくは小止観の中に説けり、また白雲和尚曰く、我つねに心おして腔子の中に充たしむ、徒お匡し衆お領し、賓お接し、機に応じ、及び小参普説七縦八横の間において、是お用ひてつくる事なし、老来殊に利益多き事お覚ふと、寔に貴ぶべし、是蓋し素問にみゆる、恬澹虚無なれば、真気是にしたがふ、精神内に守らば、病何れより来らむといふ語に本づき給ふ者ならむか、且つ夫内に守るの要、元気おして一身の中に充塞せしめ、三百六十の骨節、八万四千の毛竅、一毫髪ばかりも欠欠の処なからしめん事お要す、これ生お養ふ至要なる事お知るべし、彭祖が曰く、和神導気の法、当さに深く密室お鎖ざし、床お案じ、席お煖め、枕の高かさ二寸半、正身偃臥し眠目して、心気お胸隔の中に閉ざし、鴻毛お以て鼻上につけて、動かざる事三百息お経て、耳聞処なく、目見る処なく、斯の如くなる則は、寒暑も侵かす事能はず、蜂蠆も毒する事能はず、寿き三百六十歳、是真人に近かしと、又蘇内翰が曰く、已に飢へて、方に食し、未だ飽ずして先止む、散歩消遥して務めて腹おして空からしめ、腹の空なる時に当て、即ち静室に入り、端坐黙然して出入の息お数へよ、一息よりかぞへて十に到り、十より数へて百に至り、百より数へ放ち、去て千に至りて、此身兀然として、此心寂然たる事、虚空と等し、斯のごとくなる事久ふして一息おのづから止まる、出でず入らざる時、此息八万四千の毛竅の中より雲蒸し、霧起るが如く、無始劫来の諸病自ら除き、諸障自然に除滅する事お明悟せん、譬へば盲人の忽然として眼お開くが如けん、此時人に尋ねて、路頭お指す事お用ひず、隻要す、尋常言語お省略して、爾ぢの元気お長養せん事お、是故に雲ふ、目力お養ふ者は常に眠し、耳根お養ふ者は常に飽き、心気お養ふ者は常に黙すと、予が曰く、酥お用るの法得て聞ひつべしや、幽が曰く、行者定中四大調和せず、身心ともに労疲する事お覚せば、心お起して応さに此想お成すべし、譬へば色香清浄の軟蘇鴨卵の大ひさの如くなる者、頂上に頓在せんに、其気味微妙にして、遍く頭顱の間おうるおし、浸々として潤下し来て、両肩及び双臂両乳胸隔の間、肺肝腸胃脊梁臀骨次第に添注し、将ち去る、此時に当て胸中の五積六聚疝癖、塊痛、心に随て降下する事、水の下につくがごとく、瀝々として声あり、遍身お周流し、双脚お温潤し、足心に至て即ち止む、行者再び応さに此観お成すべし、彼の浸々として潤下する所の余流積もり湛へて暖め蘸す事、恰も世の良医の種々妙香の薬物お集め、是お煎湯して浴盤の中に盛り湛へて、我が臍輪已下お漬け蘸すが如し、此観おなすとき、唯心所現の故に鼻根作ち希有の香気お聞き、身根俄かに妙好の軟触お受く、身心調適なる事、二三十歳の時には遥かに勝れり、此時に当て積聚お消融し、腸胃お調和し、覚へず肌膚光沢お生ず、若し其勤めて怠らずんば、何れの病か治せざらむ、何れの徳かつまざらん、何れの仙か成せざる、何れの道か成せざる、其功験の遅速は、行人の進修の精麁によるらくのみ、〈○下略〉