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沙石集
四下
上人之女父之看病事
坂東の或山寺の別当、学生にて上人なりければ、弟子門徒おほかりけれども、年たけて後中風して病の床に臥して、身は合期せずながら、命はながらへて、年月おふるまヽに、弟子共看病しつかれて、いとこまやかならざるに、いづくよりともなく、女人一人出で来、御看病申さん事いかにといへば、弟子共しかるべしとてゆるしつ、えもいはずねんごろに看病しけり、いかなる人ぞと問へども、まどひ者にて侍り、人にしられまいらすべき者にてあらずといふ、あまりにありがたく看病し、月日も歴にければ、この病人申けるは、仏法世法の恩おかぶれる、弟子だにも打すてヽ侍に、これほどねんごろにおはする事、しかるべき先世の契にこそとまで、あまりにありがたく思給に、いたくかくし給こそいぶせけれ、そも〳〵何なる人にて御坐るぞと、あながちに問ければ、誠に今は申侍らん、これはそのかみ思がけぬ縁にあはせ給て、思の外なる御事の候ける某と申者のむすめにて侍なり、それにはかくとも知せ給はねども、母にて侍しものヽ、なんぢはかヽる事にてと、つげしらせて後は、心ばかりは御女と思つヽ、あはれ見もまいらせ見へもまいらせばやと、年来思ながら、かヽる御身には、よろづはヾかり有て、むなしく年月お、おくり侍りつるに、此御病に、御看病の人もつかれて、ことかけたるよし、つたへ承て、御孝養に心やすくあつかひまいらせんと、思たちてなん、まいりて候と、なく〳〵かたりければ、まめやかに、志の程哀に覚て、涙もかきあへず、しかるべき親子のちぎりこそ哀なれとて、たがひになつかしく、へだてなき事にて、ついに最後まで看病し、心やすくしておはりにけり、至孝の志こそありがたくおぼへ侍れ、