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本朝医談
注能毒益母草の条に、唐より渡りたる 済陰方( ○○○) といふ文あり、済陰方も、月湖の作なり、延宝八年の国刻あり、往年田沢仲舒が、 全九集( ○○○) お校せし時、予其書に序して、月湖は本邦の人にして、銭塘に流寓したるといひしお、あからさまに銭塘月湖とあれば、邦人なりといふは、うけがたしといふ人あり、予全九集の文章、唐山人にあらざる句法お示し、今又済陰方の序と、治験とお、茲に挙て、唐山人の文にあらざるおしらしむ、月湖元来邦人なれども、著述は唐土にて印刻なりし故、唐より渡りたる済陰方と、一渓師のいはれしなるべし、足利の代禅徒の海外におもむきし者多し、月湖も其頃の人なれば、遠く明国に遊び、医もて彼地に行はれしなり、