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日本西教史

日本国紀事〈○中略〉
教師まるちにゆす氏及び其他の著書家雲へらく、日本の医道は支那に出たりと、医師は病者に問ふことなく、唯半時許診脈して、脈動と病の経過に因て病源お判す、此国には薬室あることなし、医師の僕、小さき薬籠お持ち、之に従ふ、薬籠の中には、十二箇の抽斗ありて、四十四の薬囊お容る、各種の草木及び乾薬お充実す、医師は此内より応用の物お調合し、之お混交し、病者の家にて之お煎ず、又熱病に小さき鋭利なる金針お病者の皮膚に六け所も刺入し、之お療治するあり、此法支那にもあり、又大病には病者の皮膚二十箇所以上も灸することあり、小にして燃へ易き乾艾お丸め、之に火お点ず、燃へ了て灰となり、之お除く時は、其焼きし所黒痕の生ずるお見るなり、