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薬は、草根、木皮、砂石、鳥虫の類、及び是等の庶物お以て製したるものにして、人の疾病お療するものヽ総称なり、神代の時、神産巣日之命の、蛤、蚶お用いて大穴牟遅神お蘇生せしめ、又大穴牟遅神の、稲羽の白兎に、蒲黄お以て膚創お療することお教へしが如きは、我史上薬方の初見と謂ふべし、
薬園は朝廷所用の薬種お植うる所にして、王朝時代には典薬寮に属し、薬園師、薬園生薬戸等あり、後世は、京都に鷹峯御薬園なるものありて、此より朝廷所用の薬種お進献す、徳川幕府も亦所々に薬園お設け、本草家おして、就て薬性薬方お研究せしめ、其業甚だ盛大なりき、牛乳は、古来主として薬用に供せられしものにして、往時朝廷には乳牛院ありて、乳長上以下の職員お置きたり、又古くより諸国貢蘇の事見ゆ、蘇とは酪の類にして牛乳お煎煉して製せしものヽ名なり、乳牛の飼養は、中世一時中絶したりしが、徳川幕府に至りて、再び之お起し、広く民間の用に供するに至れり、
薬種は我国に生ずるものお倭薬と雲ふ、而して支那より舶載するお唐薬と雲へり、草薬中、後世最も珍重せられたるは人参にして、特に朝鮮の産お貴べり、又広東より舶載するものあり、其価簾なるお以て多く世に行はる、又我国に産するものもありて、其産地に由りて、吉野人参、薩摩人参など称せり、薬種は往時諸国貢租の一にして、朝廷にては典薬寮おして、此お丹膏丸散等の諸薬に製せしめ、以て諸司の用に供し、又疫癘流行の地方に賜ひて、済世恵民の一端と為したり、徳川時代にも亦賜薬の恩お施したる例あり、凡そ製薬には丹、膏、丸、散、湯、煎等の別ありて、種類極めて多く、其方剤には家伝と称するものあり、又寺院神社等にも特種の薬法お伝へ、神仏の夢想など号して之お製する所甚だ多かりき、
本草は草木お始め、金石其他一切の庶物お弁識し、其薬性お考へ、薬剤の製方お研究する学術にして、徳川時代に至りて大に発達し、医術の進歩お助けしこと少からず、而して薬品会等の起れるも亦此際に在りき、