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古事記伝

さて此の方は、まづ世間に常に万の傷に、母の乳汁お塗て愈す方ある故に、〈此法、上代にもはら為しことなるべし、〉今蛤貝の水お、其如くに塗と雲意なり、故知志流登と訓べしとは雲なり、うつぼ物語俊蔭巻に、紅葉の雫お乳ぶさとなめつ、ありふるに雲々とある登に同じ、〈万葉十四に、信濃なるちぐまのかはのさゞれしもきみしふみてば多麻等比呂波牟、この等も同じ格なり、〉そは、彼 蚶貝( きさがひ) の焦粉お、蛤の水以てときて、母乳汁お塗如くに塗しなり、さて宇牟岐てふ名は、 母貝( おもがひ) の約りたるにて、〈さるお宇牟岐の貝と雲は、後の重言なり、〉今かく母乳汁の如く塗て、功おなせしに因て負へるなり、さて右の二貝比売のこと、上に雲る外に今一の考あり、そは直に介虫お謂にはあらで、尋常の神にても有なむ、若然らば、蚶貝比売蚶貝お、岐佐宜焦而蛤貝比売蛤貝の水お持てと雲ことなるお、神名にゆづりて、その用ひたる貝名おば、共に略けるなり、是るも一の文なるべし、さて然二の貝お用て功おなせしに因て、其貝の名お以、其神名にも称しなるべし、