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天明大政録

大目付〈江〉
朝鮮種人参之儀、享保年中御世話被遊、諸国にて出来、段々増長候に付、末々軽き者迄、病用之節、容易相用候為、宝歴十三未年被仰出、神田紺屋町三丁目に、 人参座( ○○○) 相建、望之者〈江〉相渡候之処、此度人参座相定、以来者元飯田町中坂上 人参制法所( ○○○○○) において、相渡候筈に候、隻今まで、武家は兼而印鑑遺し置、在町之分は名主家主印鑑お以、請取来候得共、諸人求め易きため、其儀相止、人参座之物は、制法所〈江〉代金持参候得ば、相渡候筈に候、且人参之儀は、次第被致増長、当時択山に作出候に付、代料之儀も、別紙之通申渡候、右人参望之者は、勝手次第製法所〈江〉請取に参り可申候、
丁未十一月
朝鮮種人参制法所に而、相渡候代料左之通、
上人参壱貫目に付、代銀七匁五分、 並人参壱貫目に付、代五匁、
割人参壱貫目に付、代銀四匁、 肉肝人参壱貫目に付、代銀三匁、
細髭人参壱貫目に付、代銀弐匁、
但並肉肝髭は、小半貫包迄相渡、割は五分包迄相渡筈に候、
右之通に候事