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松園漫筆

烏有いはく、人参お用ること、唐土にしては、和邦の生姜お用るがごとく、或は有、或は無、薬法の常なり、六君子湯も人参あり、小柴胡湯も人参あり、補中益気湯も人参あり、参蘇飲も人参あり、日本の人参のつかひやうにてみれば、唐土のごとくせば、心やすき病人には、逆上などの憂あるべき事なり、人参の品数もいろ〱あり、何れが是なりや、老衛門曰、足下のいふごとく、漢土にては、薬方の常にて、生姜、人参、趣お同じふす、和邦は、人参の価高貴なるお以て、人参お組薬方にても、大体は人参なしにこれお用ゆ、今人参の功とする所は、専ら暴に脱するの元気お補ひ、又は虚労の元気お助るお以てす、然れども暴脱の元気お回復し、請虚の元気お補ふのみにあらず、よく客邪お除、津液お潤す、故に発散の薬方にまた多くこれお組、和漢つかひかたの同じからざる趣は、価の貴不貴による物なり、生姜亦その功人参に劣るべからず、和邦生姜の沢山なるお以て、人参の如くたつとまず、人常になれて、その功お思ふものなし、漢土は土地によつて生姜のなき所あり、北京のあたりは、大にその価貴く、人参生姜とならべ思ふ趣見えたり、