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医者談義

配剤大小之談義
其比〈○織田信長の時〉天下に道三といふ名三人あり、〈○中略〉一人は曲直瀬一渓翁道三なり、〈○中略〉其名天下に聞えたり、今世上に用ゆる所の服薬の分量、水一杯半入て一杯、煎法常のごとしといふ法は、此道三より極れり、かるがゆへに、新流お当流といひ、古流お他流といふ、包形も、当流他流ともに昔は皆小包は香包にせしお、片臂驢菴の片手にてつヽまれしより、半井流は山形包なり、上包お剣形に包に、右は短く、左は長くするは、出の字の形也、発散催生一切病お去出すに用ゆ、左短く、右長くするは、入の字の形なり、反胃、隔咽、不食、虫積等の病お治するに用ゆ、〈○中略〉凡薬に甘草の入は、峻なる薬味のあるには、和緩ならしめんがためなり、生姜の入は表達引用のためなり、棗の入は脾気お助養するが為なり、道三の撮甘草、片生姜一粒棗といふは、甘草多ければ、和し過して余薬のちからうとし、生姜多ければ逆上の害あり、棗多ければ、胸隔に変て食することあればなり、薬の拵やうも、麻豆のごとしとは、麻はあさだねなり、豆はあづきなり、薬のつぶの大きさ、麻だね小豆のふとさなり、粗からず、細ならず、中庸の刻かげん、是当流の法なり、古流は細末お用ゆるなり、然るに此頃は、薬品の彩色お好で、角こしらへにするは、病家に衒ふなり、〈○中略〉道三の切紙に、一番に、水天目に一つ半入て一つに煎じ、二番は、一つ入て半に煎ずとあり、此天目といふもの、むかし高麗の天目山にて焼し茶わんなり、是にも大小ありといへども、大やう、水八十目入お正とせり、八十目は明朝の半斤なり、明の一斤は百六十目なり、是お広秤といひ、又大秤ともいふ、半斤お半秤といひ、小秤とも雲ふ、故に水は半秤お用ゆ、天目に一杯は京升に二合入、京升一合に水清上なるもの四十日入る、然れば天目に一杯半は、水目百二十目、京升に三合入なり、〈○中略〉然して当家の配剤の服量弐匁五分おかぎりとせり、是両の四分の一、水広秤の四分の三と配合す、〈○中略〉然るに近年、清水焼の薬盞小く成て、やう〳〵京升に一合入、是に準じて薬も少服になれば、病人の平愈もすくなし、