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守貞漫稿
五生業
是斎売( ○○○) 消暑の抹薬也、東海道草津駅の東に梅木村と雲あり、其所に此薬舗五六戸あり、一戸お是斎と雲、其他定斎等の音近きお名とす、
蓋薬名和中散お本とす、大坂市街に売る者は、住吉神社北天下茶屋某の家に製す、夏日のみ大坂に売巡る者数夫、各一様の襦袢お著す、地白木綿に濃鼠の碁器の形に似て、五分許の小紋お染たり、江戸は府内三戸あり、是又夏月のみ売之、所荷薬筥の文字記号、筥朱漆青貝等お以てし、又担之夫は、歩行に術ありて、薬筥の鐶お鳴し、笠お用ひず、又江戸の西大森村に和中散の店あり、薬磨の車等お設けて、前の天下茶屋に似たれども、夏月市中に売巡ることおせず、世事談曰、定斎薬は、大明の沈惟敬、本朝に来て霊薬お秀吉に献ず、〓に大坂薬種屋定斎と雲もの、俳優お好し、秀吉申猿楽お催す時、召に応て意に合ひ、彼名方お授く、定斎業之とす、故に名とす、今京東洞院青木屋は定斎の裔也雲々、然ば本名定斎也、 枇杷葉湯売( ○○○○○) 是亦消暑の散薬也、京師烏丸の薬店お本とす、三都皆称之、又三都扮、蓋京坂は巡り売お専とし、江戸は橋上等に担筥お居て息ひ売お専とす、又大坂元舗天満にあり、売詞に曰、御存本家天満難波橋朝田枇杷葉湯雲々と雲、