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海外事類雑纂

植学独語 江戸宇田川搈菴著
植学は本草と同じからざる事
唐山にて、本草といふは、凡そ採て薬用とすべき者、水火土砂より、草木金石は勿論、牛溲馬勃敗鼓の皮に至まで載て遺すことなく、其物お弁識し、其等お品隲し、良毒お弁明する学問なり、然れども、薬物は草類最多きが故に、草お本とするといふ意にて、本草とは名けしものならん、西洋にて、萻多厄河といふは、此に植学と訳して、唯植物のみに限りて、効能の有無と、薬の用事と不用とに拘らず博く捜索し、弁識記載し、尚且植物之生々、長生開花結実するの理お論ず、しかれば植学と本草とは、迥に別の学問なり、
西洋にては、別に草木金石虫魚の類、物々なべて吟味する一種の学問ある事、〈○中略〉
西洋にも、あぽてーけるまんすととて、薬品のみ論じて、唐山の本草学にあたる学問のある事、西洋には、右三有学の外に、あぽてーけるまんすとと唱ふる学問ありて、専ら薬物の効能と等の美悪修治製法など宗とする一科あり、あぽてーける、是に薬鋪と訳して、薬舗の学問なり、然れどももと三有究理学の内にて、薬鋪庸医の為になるべきことお抜萃せし者なるゆへ、医家の一派ともいひ難し、是故に、唐山の本草に得とはあたらず、然れども唐山の本草書と雲もの、効能美悪修治製法おいふお宗とするお見れば、姑くこれお本草学と思ひ玉へ、