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続近世奇人伝

松岡恕庵( ○○○○) 〈附稲若水〉
恕庵松岡氏、名は玄達、字は成章、怡顔斎と号す、垂加の神道お学びては 真鈴潮( ますヾしほ) 翁ともいふ、平安の人、其先は尾張名護屋に出づ、浅井図南子いふ、恕庵先生は、もと本草者にあらず、儒家たれども、詩経の名物お困しみ、稲生若水にしたがひて、本草お三遍見給ひしが、大方暗記して、同じ頃、 後藤常之進( ○○○○○)などいへる、本草者あれど、其右に出たり、故に人しきりに本草おとひ、終に本業となりしかども、其志にあらずとぞ、博覧好古、倹素淳朴の人なること、人のしる処なり、今其真率なる二三条お挙ぐ、大きなる倉お二つたて、一つには漢の書、一つには国書お蔵られしほどのことなれども、火桶は深草のすやきお、紙にてはり用いられし、〈○中略〉
因に雲、稲生若水、名は宣義、字は彰信、江戸の人なり、若水お通名とせしかども、頭は月代あり、しかも被風お著し、両刀お帯たれば、人皆あやしむ、或時台命ありて、詩経お講ぜし時、草木鳥獣の、筆におよぶほどは、図して献ず、其頃木下順庵も、力おあはせられけるとかや、すべて産物お見ること、別才ありて、他の及ぶ所にあらず、加賀の太守より、禄三百石お賜ふ、 庶物類纂( ○○○○) といふ書、千巻お撰み、原本副本ともに自筆にて書る、原書はいま官府にあり、副本は加賀に有よし、惜らくはいまだ五旬に満ずして逝す、