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嬉遊笑覧
二中器用
印籠は、下学集に、印籠〈簍同〉と見え、林逸節用集に印籠〈印判印肉〉と見ゆ、同書に、薬籠も出たり、今堆朱などにて、四方なる重匣お、印并印肉お入るヽ物といひ、同じやうにて形円きお薬籠なりとす、いづれも唐物なれば、其実は知り難し、此二色、本邦にては、ちがひ棚の飾などに置、また腰に佩る印籠は、名のみにて、其用は薬入なれば、実は薬籠なり、安斎雲、此物、もしは信長秀吉などの頃、軍中の用意に、鎧の上帯に付る為に作り出せし物にてもあるべき歟などいへるはわろし、尺素往来に、丸薬等の事お雲て、当世人々、火燧袋の底面に、小薬器之中、必齎持之、以不得貯為恥辱候とあり、又諸器お連ねたる処に、印籠、食籠とあるは、印の箱也、〈今古き印籠に、東山殿時代の蒔絵なりと雲ものあり、東山時代この物なし、心得がたきもの也、〉安斎又雲、室町殿の頃、殿中へ、刀に火打袋付て参ることなし、老人病者などは、薬お入る為に、御免お申て付候由、宗吾記に見えたり、今も御前へ、腰にさげ物して出る事は、制禁なり、