[p.1125][p.1126]
明良洪範
二十三
綱吉公、御能拝見仰せ付られ、登城せし時、玄説、弟子お以て、平日用ゆる、印籠の薬どもお、皆入替よと申付し、弟子にも、此印籠こそ見苦しけれ、能印籠の有にと雲ながら、師命の如く、丹薬ども詰替ける、扠、御能拝見し、御中入の節に、将軍家如何思召しけん、玄説が印籠御覧有べし迚、御取寄有しに、用ひ古せし黒塗の印籠なれば、御笑ひ有り、内お披かせられしに、名方の丹薬ども、悉く詰置て、薬気鼻お通しければ、器は麁相なれども、医のたしなみこそ頼母しけれ、誰も斯こそ有べけれ、玄説は、名医程有て、御感じ遊ばされ、其印籠おば戻され、御前へ召され、御手づから、寿の字の御印籠お給はりけり、玄説は、存じよらざる仕合にて、家室にも伝へけり、諸門人にも、かかる幸ひに逢事、偏に家業の事たしなみ厚きより出たり、御城へ召るヽからは、諸事改むべき事なり、されども隠居の身なれば、光り輝は如何と、薬は家業の事なれば、念お入べき所お思ひ、詰替しけり、此度の首尾は、医の冥利に協ひたり、門弟末々迄も、此嗜の心忘るべからず迚戒めける、