[p.1140]
玉勝間
十二
つゝみなく又つゝがなくといふ言
万葉に、つゝみなくといふ詞あるお、後世俗には、つゝがなくといへり、此言、から書に無恙といへると、こゝろばへ同じき故に、いにしへより、此字おあてたりと見えて、万葉十三にも、恙無と書たり、これお今本には、つゝがなくと訓たれど後の言なり、かの集には、此言皆、つゝみなくといへれば、これも然訓べき也、さてから書に無恙といふ言は、憂也病也と注し、又風俗通に、恙噬虫、能食人心、古者草居、多被此毒、故相問労曰無恙、といへるに依て、つゝがといふおも、虫名とこゝろえて、此言お件の説によりて解くは、いみじきひがことなり、漢籍の恙も、憂也病也といへるは、こともなく聞えたるお、虫の名とせる件の説は、いと信がたきお、まして皇国にて、つゝがなくといふは、かのつゝみなくの転れる言にて、つゝがは、さらに虫の名にはあらず、たとひから書の恙は、まことに虫名にもあれ、それにはかゝはらぬこと也、無恙の字おあてたるは、たゞ相問ていふ心ばへの、よく似たる故のみにこそあれ、万葉には、つゝむことなくとも、つゝまはずともいへるお以ても、虫の名にあらざるほどおしるべし、同集六に、 草管見( くさつヽみ/つヽなく) 身疾不有( みやまひあらず) とよめる、草といへるは、かのから書の草居雲々の説によれるかと思ふ人もあめれど、然にはあらず、此草字は、莫お誤れるにて、これもつゝみなくなるおや、さてつゝみといふ言の意は、大祓後釈にいへれば、こゝにはもらしつ、