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理斎随筆

むかし七八十年以前に、東海道戸塚大陰嚢とて、名だかかりし乞食ありける、其後引績て予が長崎におもむきし寛政のころにも、同じ駅にまた大なる陰嚢の乞食ありて、旅人通行せる路傍に出て、陰嚢の上にたヽき鉦お置て、念仏申て銭おもらひ、世お渡るいとなみとせる者あり、日暮て家にかへるには、彼のきんに紐おからげて結びあげ、肩に掛て戻ると、むかしの二代目なれと申たる有り、一とせ紅毛人江戸へ拝礼に来れる時、これお見て不便の事なり、水お取て愈しあたへんと、通事お以て申ければ、彼の乞食答へて、其の志の程は忝けれど、我は此陰嚢の故お以て、今日銭お得て楽に暮す也、今此陰嚢人並になりては、却て飢渇に及べければ、此陰嚢こそ我命の親なりとて、療治お受けずとかや、おかしき話也、