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雑病記聞

脚気
脚気の理お考ふるに、七個条の他病に異なることあり、此異なる所によりて、其理お考へ明らむべし、七個条と雲ふは、脚気は四五月の頃より発りて、梅雨の頃最も多く、八九月迄の病なり、寒気の時は発することなく、秋九月頃に至れば、自ら愈ゆるものなり、是一つなり、脚気は京都江戸に多くして、他国に病むもの甚希なり、是二つなり、脚気は足のみ先微腫麻痺して、手臂面部腹背に異なし、是三つなり、脚気は飲食も常の如くにして減ずることなし、是四つなり、脚気は寒熱なし、是五つなり、脚気は王公貴人に希に、又雇夫下賤労動の者に多く、唯江戸にては侯国の武士勤役に来り居るものに最多、格別身お労せざる商賈に在り、京にても商賈の手代或は終日坐して動かざる職人、又は他邦より来り居る書生等に甚多し、是六つなり、脚気は病むといへども悩む所なく、無病の者の如くなるに、一旦頓に衝心するに至ては、必死の病にして、鍼灸薬剤絶へて効なし、是七つなり、〈○中略〉
脚気の京江戸に限りて多きことは、是大都会の地は、人民甚だ多く、大小便の不浄なるより、厨下の腐穢の滴りに至るまで甚だ多く、土中にしゆみ透り居るに、人家も甚多く、土蔵など相ならび、少しの空地も希にして、風の通り日の照らし悪しき故に、湿気多きなり、大坂は大都会なりといへども、海浜にて、砂地ゆへに、湿お含み蓄ることなく、川筋も多く、汚濁日夜に流れ去て海に入る故に、土地に湿気なし、雨後などにても、雨さへ止むときは、即時に道路乾くにても知るべし、京などの水さばけ悪しく、土地小石交りの黒土にて、湿気甚含み、蓄へ易く、雨後などにても、急には道路の乾き難きにても知るべし、江戸も全体の土地海泥にて、井なども僅に数尺掘れば水甚近く、殊に水道蜘蛛網の如く、人家の下に縦横して、常に水お蓄へ、大川ありといへども、大坂などの川には異なりて、海潮往来して、汚濁流れ去り難し、大小便なども、軒下の溝に流し捨にて、他邦の如く、田畑近からざれば、農民是お取ることなくして、皆人家の地中にしゆみ付居る故に、其土其水皆甚肥て、膏膄気の多き故に、下流の海中、浅草海苔などの如き、美味の海苔おも生ずるなり、京なども土地に膏膄の気多きことは、下流の東寺村九条村等の畑お見るに、溝の水お濺ぎかけるのみにても、黒土に青黴お生じて、芋、水菜、葱の類肥ふとりて、味の美なること天下に冠たり、