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甲陽軍鑑
九上品第二十三
信州平沢大門到下等合戦之事
一武田晴信公、天文十一年、四月五月両月、人数おやすめ、六月四日に、七千五百〈の〉人数お将て、信州諏訪郡へうち出、敵地尽放火せしめ、高島諏訪左馬助にしほつけ、門きはまで押つめ放火し、其次日は頼茂、居館の小城へおしよせ、ねこやまで焼候へ共、城お出て戦はざる子細は、諏訪殿、運の末にてやらん、頼茂、うしろ手の打越に、六月六日の夜より、 疔と雲はれ物出来て( ○○○○○○○○○) 、存命不定に痛まるヽに付て、大将なればたヽかふ事ならず、城持事様々なり、