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太平記
三十三
将軍御逝去事
同年〈○延文三年〉四月二十日、尊氏卿の背 癕瘡( ○○) 出て、心地不例御座ければ、本道外科の医師数お尽して参集る、倉公華陀が術お尽し、君臣佐使の薬お施し奉れ共更に無験、陰陽頭、有験の高僧集て、鬼見太山府君星供、〓道供薬師の十二神将の法愛染明王、一字文珠不動慈救延命の法、種々の懇祈お致せ共、病日二随て重くなり、時お添て憑少く見へ給ひしかば、御所中の男女、気お呑み、近習の従者、涙お押へて、日夜寝食お忘たり、懸りし程に、身体次第に衰へて、同二十九日寅刻春秋五十四歳にて、遂に逝去し給けり、