[p.1233][p.1234]
筆のすさび

一人面瘡の話 仙台の人怪病の図、並に記事左に載す、〈本文漢語お以てすといへども、今児童の見やすからんために和解す、覧者これお察せよ、〉王父月池先生〈○桂川〉嘗て余に語りて曰く、祖考華君の曰く、城東材木町に一商あり、年二十五六、膝下に一腫お生ず、逐漸にして大に、瘡口泛く開き、膿口三両処、其の位置略人面に像る、瘡口時ありて澀痛し、満つるに紫糖お以てすれば、其の痛み暫く退く、少選ありて再び痛むこと初のごとし、夫人面の瘡は固より妄誕に渉る、然るにかくのごとき症人面瘡と作すも亦可ならん乎、蓋瘍科諸編お歴稽するに、瘡名極めて繁し、究竟するに、其の症一因に係りて発する所の部分、及び瘡の形状お以て、其の名お別つに過ぎざるのみ、人面瘡のごときも亦是なり、今茲に己卯中元仙台の一商客、門人に介して曰く、或人遠くより来りて治お請く、年三十五お加ふ、始十四歳のときにありて、左の脛上に腫お生ず、潰れて後膿おながして不竭、終に朽骨二三枚お出だす、四年お経て瘡口漸く収る、隻全腫不消、歩頗難し、故に温泉に浴し、或は委中の絡お刺し血お瀉す、咸応せす、医者お転換するも亦数人、荏苒として幾歳月、其腫却りて自ら増し、膝お囲み腿お襲がせ、然して再び膿管数処お生じ、彼収まれば此に発し、前に比するに甚同じからず、隻絶えて疼苦なく、今年に至りて瘡口一処に止る、即先に骨お出すの孔傍なり、瘡口脹起哆開し、あたかも口お開くの状のごとし、周囲淡紅く唇のごとく、微しく其口に触れば則血お噴る、亦痛疼なし、口上に二凹あり瘡痕相対し、凹内に各皺紋あり、あたかも目お閉ぢ笑ひお含むの状のごとし、眼の下に二の小孔あり、鼻の穴の下に向ふが如し、両傍に又各痕あり、痕の辺に各堆起し、耳朶のごとく、其面楕円、根膝蓋に基して、頭顱の状おなす、且患ふる処惻々として動あり、呼吸のごとし、衣お掲げて一たび見れば、則言お欲する者に似たり、復約略人面お具するにあらず、強ひて人面おもつてこれお名づくるの類なり、而して脛の内廉腿股に連り、腫大にして斗のごとく、青筋縦横遮絡、これお按ずるに緊ならず寛ならず、其の脈数にして力あり、飲食減ぜず、二便自可、斯症固よりこれお多骨疽に得たり、多骨疽の症、多くは遺毒に出づ、而して其の瘡勢斯のごとくに至るものあり、隻口内汚腐、充塡縁なく、餌糖即貝母も眉おあつめ口おひらくの功お奏することあたはず、文政己卯中元、桂川甫賢国寧記、