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源平盛衰記

殿下御母立願事
承徳二年六月廿一日に、関白殿〈○藤原師通〉本の 御髪際に又悪瘡出きさせ給( ○○○○○○○○○○○○) へり、兼て御託宣有しかば、今は一筋に後世の御営有けるが、同廿八日、大殿に先立給て薨じ給ふ、御年三十八、〈○中略〉此御病は御髪際に出て、悪瘡にて大に腫させ給へり、御看病に伺候したる輩、立烏帽子お著て、前後に侍けるが、互に見ぬ程に大に高腫させ給たれば、入棺可奉葬送御有様にも非、父の大殿是お守御覧じて、御涙に咽ばせ給ながら、御行水召れて、春日大明神お伏拝せ給て、子息師通、山王の御咎とて、世お早し候ぬ、いかに春日明神は、思食捨させ給けるやらん、但定業限あらん命、今は力及侍らず、かヽる浅間敷有様にて、恥隠べき様なし、此後の氏人、氏人たるべきならば、此姿お本の形に成給へ、最後の孝養仕んと、泣々口説給けるこそ哀なれ、