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太平記
十七
北国下向勢凍死事
同〈○延元元年十二月〉十一日に、義貞朝臣七千余騎にて、塩津海津に著給ふ、七里半の山中おば、越前の守護尾張守高経、大勢にて差塞たりと聞へしかば、是より道お替て、木目峠おぞ越給ひける、〈○中略〉佐々木の一族と、熊谷と取籠て討んとしける間、相かヽりに懸て、皆差違へんとしけれども、馬は雪に凍へてはたらかず、兵は 指お墜し( ○○○○) て弓お不控得、太刀のつかおも 拳( にぎり) 得ざりける間、〈○下略〉