[p.1259]
東遊記

寒気指お落す
北国の人、余りに寒気おこらへ、雪お侵せば、血凍り、気のめぐり絶えて、春に至り、少し暖気お催す頃、足の指皆紫色に変じて、やがて腐り落る也、いかに療治お加れども、治しがたきものなり、余〈○橘南谿〉も此病人お度々見たりしかども、やはり脱疽の種類なるべし、いかに寒気甚しければとて、指の落る事やあらんと思ひすてヽ居たりしが、北地に厳寒に遊びて、其まことなる事お知る、人のみならず、畜類までも指の落る事あり、出羽国秋田領の内大葛村の鶏、ひと年寒気強かりし冬、庭に追放し置しに、其翌春に至り、鶏の足の指こと〴〵く腐り落ぬ、鶏の命は恙なくて今に存在すれども、足の指なければ枝に栖事ならず、隻庭にのみうづくまり居る也、是も亦珍敷事といふべし、すべていかなる寒国といへども、指の落つるといふは足の指の事なり、手の指の落つるといふ事はあらず、