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古事記伝
二十三
役病、役字、旧印本と延佳本とには疫と作り、其正字なり、されど真福寺本及其余の本どもにも皆役と作り、下文なる役気も同じ、凡て此記の書ざまかヽる例多ければ、今は其に依つ、〈疫と作る本は、後にさかしらに攺めつるものなるべし、〉和名抄に、疫、衣夜美、一雲、度岐乃介、説文雲、民皆病也とあり、〈また瘧、俗雲衣夜美、一雲和良波夜美とあり、そのかみ瘧おも衣夜美とも雲しなるべし〉書紀にも、疫病、疫疾、疾疫、疫気などみな延夜美と訓り、〈又延能夜麻比と訓る処あり、大鏡に延とのみ雲る処もあり、和名抄に、竜胆衣夜美久佐、〉さて然名くる意は、まづ役お延とも延陀知とも雲お、〈延陀知は役立なり、なほ役の事は軽島宮段に雲べし、〉疫病も、漢籍に民皆病也と雲る如く、人毎に病が、彼役に差されて立に似たる故なるべし、〈師は疫お延と雲は、もと字音なり、次の文に神気とある即是なれば、此の疫病おも共にかみのいぶきと訓べしと雲れき、已も初に思へりしは、役おも疫おも共に延と雲お思へば、もと字音お取れるなり、若もとよりの古言ならむには、かく同音の字にて同言なるべきに非ずと思へりしおヽ後になほよく思へば然には非ず、共に固の古言なり、まづ役はおのづから字音と同じきなり、凡て此方の古言と漢字音と、おのづからに似たるも同きも希にはあることなり、然るに其おも悉く彼お取れるものと思ふは、中々に非なり、さて疫はかの役に似たるから雲こと上に雲るが如し、疫字も役より出たりと見ゆ、釈名に、疫役也、言有鬼行役也と雲へり、如此漢国にても役よりうつりて疫と雲る、此はた此方の意とおのづから合へるなり、彼に効へるにはあらず、〉書紀欽明巻にも、国行疫気、民致夭残、久而愈多、不能治療、敏達巻にも、是時国行疫疾、民死者衆、と雲ことあり、