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栄花物語
四見はてぬ夢
長徳元年正月より、世中いとさわがしうなりたちぬれば、のこるべうもおもひたらぬ、いとあはれなり、〈〇中略〉ことしはまづしも人などは、いといみじたヾこのごろのほどにうせはてぬらんとみゆ、四位五位などのなくなるおば、さらにもいはず、いまはかみにあがりぬべしなどいふ、いとおそろしきことかぎりなきに、三月ばかりになりぬれば、くはんはくどの〈〇道隆〉の御なやみもいとたのもしげなくおはしますに、内によのほどまいらせ給て、かくてみだり心ちいたくあしくさぶらへば、このほどのまつりごとは、内大臣〈〇伊周〉おこなふべき宣旨くださせ給へとそうせさせ給へば、げにさばかりくるしうし給はんほどは、などかはとおぼしめして、三月八日のせんじに、くわんはくやまひの間殿上および、百官執行とあるよしせんじくだりぬれば、内大臣殿よろづにまつりごち給、かヽるほどに、かんいんの大なごん〈〇朝光〉よの中心ちわづらひて、三月廿日うせ給ひぬ、あはれにいみじきことなり、あすはしらず、いまはかうなめりとさべきとのばら、むねはしりおそろしうおぼさるヽに、くはんはくどのヽ御心ちいとおもく、四月六日出家せさせ給ふ、あはれにかなしきことに覚しまどふ、