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時還読我書

享保十八年辛丑十二月、飢饉の後、時疫流行せしにより、官より望月三英、丹羽正伯に命ぜられ、治時疫方お集め、又凶年の時は僻地の民、雑食して毒にあたるお以て、解食毒方便易なるお撰ばしめて、町奉行所にて上木なさしめ、都鄙に頒行せしめたまふ、其方は医説の大豆甘草の方肘後方の蘘荷根の方など十一首なり、其後天明四年甲辰、諸国に時疫行はる、とき、天保八年丁酉、荒嫌の後にも、再其方お頒たしめられたり、国家仁慈の政至れりといはざるべけんや、