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救瘟袖暦
新に 冷疫( ○○) と雲る名目お設ること
安永の初、長夏流行病ありて、死亡塗に相望めり、其症種々異同ありといへど、その始多悪風肌熱、水瀉嘔吐、不食に起り、煩渇譫語吐衄血などにて、日おふるま、に沈重に至り、医皆手お束ねたり、一老医寐びえより起りたるとて、張景岳が五君子煎お投じて、嘔吐不食煩渇譫語などよく除き、救療猶多く、遂に疫お治する一良法とせり、〈人参、白朮、茯苓、干姜、甘草、〉予〈○工藤平助〉も亦此に効て得る処多かりし、陳皮年夏お加て七賢湯と名て施もありき、其後は希にて久く廃して用ひざりき、按ずるに、ねぜえと雲病名は、我邦の通言にて、寝中に冷に感ぜしは、腸胃中に舎るなるべし、是故に寒熱腹痛水瀉お以て、ねびえの症とせり、皮表に在邪と異にして、月日お経て経に伝るといへど、いつまでも冷お伏して熱に化することなし、中塞傷風と大に異にて、ねびえと雲る一症あるなり、何の国にもあるべきお、これに相当の議論名目お見ず、撿索すべし、総てねびえといへば、世間皆軽症とのみ思ひ居れり、然るお寐冷より危篤に及お発明せるは卓見と雲べし、今お以て思に、安永のねびえの症の流行せるは、瘟疫の一症なるべく、ねびえとのみは雲がたかるべし、尋常のねびえは、年年にあれども、危篤に及ぶことなきにて観れば、決定流行疫の寝中お犯して、腸胃腸間に潜伏して、悪心不食水瀉赤白痢等の症おなすなるべし、