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救瘟袖暦
温疫転変の記
宝暦の末年より今完政に至るまで三四十年来、江戸の病人お見るに、正傷寒は希にて、四時共に多くは温疫なり、温度は戻気なれば正傷寒の第一種なるの比にはあらず、種々品々なり、此故に隻一症お知得たりとて、尽せりとは言がたし、予宝暦丑寅の頃二十四五歳の時より、専ら治療に苦みしが、明和中まで十二三年の後、時行一変し、完政の始に至て又一変せり、すべて時の流行およく知得ずば、測らざる変に逢て狼狽すること多かるべし、予麁工なりと雖も、犬馬の齢幸に八八の年お積て、是までの流行お考るに、轄変とはいへど、今の流行今に始るにも非ず、四十年来より有きたりたれど、其治お得ざるゆへ、徒に過したるなり、一般流行といへど、種々の病症いつとても交りおれり、其内にさまで誤治なりとも思はずして沈重に至るは、見しらざる一種の症なるべし、願くは予が志お嗣で温疫の種類、吾輩の知ざるお治し得ることあらば、これに績て救世の術お弘めたまへかし、