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橘黄年譜

嘉永五年七月以還、築地土州邸瘟疫( ○○) 流行す、門人黒岩誠道父尚謙、余〈○浅田宗伯〉お延て療せしむ、野々村三内妻及子、一瀬孫之進妻及息、乾守右衛門并男、富永源次郎妻及女、山中常太郎、北村平之進、勝賀瀬助及息善太郎、佐々内蔵太及妾、奥村為右衛門及児、松井源蔵息、国沢善之丞妻、南玄仲後室、鳥池九一郎、林源三郎等、皆危篤の域に至り、升陽散火湯、加附子、真武、合生脈散、茯苓四逆湯、既済湯、烏梅園、呉茱莄湯にて救治す、福永儀助男、谷兎毛妻、森岡弥右衛門、祐祥院僕音吉の如きは、元気衰脱し遂に治する能はず、此事土州侯工聞へ、留守居広瀬源之進お以て其邸に出入することお許さる、
余前年の疫に多く石羔お使用して効お奏す、当年の疫大抵附子に非れば救ふ能はず、疫気運二属する論廃すべからず、蓋仲師の教益万古不易お覚ゆ、