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笈雉随筆

疫鬼
洛北一乗
寺村金福禅寺の住僧松宗語られけるは、先年備後国三好鳳源寺にて愚極和尚お招き請ぜり、愚極は梵綱経開板の智識にて有けり、則告度あり、松宗壮年の頃にて此会座に連り、衆僧と倶に禅室に入、結迦夫座し居たり、衆僧も昼夜の勤行に労れ、膝突にふら〳〵と眠りぬ、然るに松宗不図頭おもたげ見れば、垂たる帷幕お押上て、堂内お見とし〳〵する者有、無礼成奴かなと見留れば、八十計りの老人顔色青ざめ至極痩衰へ、白髪ふり乱し白髭たれたるは、世にいふ貧乏神ともいふべし、浅間敷様にて座にもの凄く覚ゆる程也、此者そろ〳〵と結界お越て堂内に入らんとする気色なれば、松宗物おもいはず、づか〳〵と走行て押出すに、彼者は是非に入らんとするお、力に任せて押出ば、拍子に連て礑と転たる音して、其後は見へずなりぬ、静に座に帰り又元の如く胡座せり、最怪しく思ひながら、人にも語らざりけるに、其夜村の者来りて咄す様は、近在近郷に疫病流行し、村毎に過半病死す、忝きは此寺に大法会のある故にや、此村に一人も病者なしと賞嘆せり、援に於て松宗、扠も今日かやう〳〵の事有し、村里にも見ぬ怪しき者来れり、是や疫神といへるものかといふに、一座左にこそあらんと、いよ〳〵修行怠慢なかりしかば、衆僧三百余人より下部に至る迄、村お限りさらに病患なかりけると也、〈○中略〉是等皆疫鬼也、諸書にいふ所、我国中華倶に同説也、彼 〓〓乙( しゆきんおつ) の三字の霊符に恐れて、疫邪の鬼神、川お渡り得ざりしも同じきか、或は又洞家の祖師道元禅師、中華に伝法の頃、山中にして癘鬼に逢れし時一偈あり、左の如し
無位真人現面門 智恵愚痴通般若 霊光分明輝大千 神鬼何処著手脚
と示されたり、妙験さらに疑ふべからず、今諸国此四句お門戸に占し、或は右の三字の霊符お書して、疫癘お避るとするも故あるかな、