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宮川舎漫筆

疫神
嘉永元申年の夏より秋に至り、疫病大に流行なりし処、援に不思議の一話あり、浅草辺の老女〈名は〉〈失念〉或時物貰体の女と道連になりし処、彼女いふ、私事三四日何も 給( たべ) 申さず、甚た飢におよび申候、何共願兼候得ども一飯御振舞の程願といふ、老女答、夫は気の毒なれども、折悪敷持合せ無之、志かし蕎麦位の貯はあるべし、そばおふるまい申べしとて、蕎麦二椀たべさせける、彼女大きによろこび礼お述べ別れしが、〓に呼びかけ、扠何がな御礼致すべしと存じ候へ共、差当り何も無之、右御礼には我等身分御噺申べし、我等儀者疫神に候、若疫病煩候はヾ早速鯲お食し給へ、速に本復いたすべしと教へ別れけるよし、右は〈予〉友松井子の噺なり、この趣と同譚の事あり、予実父若かりし時石原町に播磨屋総七とて、津軽侯の人足の口入なりしが、両国より帰りがけ、一人の男来り声おかけ、いづれの方〈江〉参られ候哉と問、総七答て、我等は石原の方〈江〉帰るものなりといへば、左候はヾ何卒私義御同道下されかし、私義は犬お嫌ひ候故、御召連下されといふ、それなれば我と一所に来れよと同道いたし、石原町入川の処にて右の男、扠々ありがたくぞんじ候、私義は此御屋敷〈江〉参り候、〈向坂といへる御籏本にて千二百石、今は屋敷替に相成候、〉扠申上候、私義は疫神に候、御礼には疫病神入申さヾる致方お可申上候、月々三日に小豆の粥お焚候宅〈江〉は、私仲間一統這入申さず候間、是お御礼に申上候といひて、形は消失けるぞふしぎなれ、其日より向坂屋敷中疾病と相成候よし、予が実父〈江〉播磨屋の直ばなしなり、右故予が方にても今に三日には小豆粥致し候、此儀に付ては我等方にても、疫病神おのがれし奇談あり、〈○下略〉