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松屋筆記
十四
だんほ風( ○○○○) 并 お七風( ○○○)
文政四年正月十八日、南風いと烈しく、塵雉掠天、往来の人、目お開くことあたはず、芝片門前に火事おこりけるが、二町あまり焼て止りぬ、此日江戸中の家々火事お恐れて、土蔵に目塗りし、蔵なき者は家財雑具お運びさまよひぬ、午の時ばかりに、芝片門前に火事ありといひさわぎ、未の時には尾張町、申の時には日本橋わたりまで、火きたれりとのヽしりあひしが、皆ねなしごとにて、片門前の火事のみにて事しづまりにき、同二月中旬より弥生のはじめに及まで、疫癘流行、十に八九はこの憂にかヽらざる家なし、ことし今様の囃に、だんほさん〳〵とはやすこと流行せり、越後国より起りて、檀方様といふよし人々いへり、或なんほさん〳〵ともはやしたり、太田南畝が号おはやしにせし也ともいへり、これより疫癘お名づけてだんほ風といへり、今より十八九年前、お七風といふも流行せり、そは八百お七といふ狂言おのぞきの口説に作りたりしお、世人いひける也、此頃執政青山野州、土井大炊頭主大久保加州、水野羽州だんほ風に犯されて出仕したまはず、阿部備中守主一人つヽがなくおはしませりとなん、これに政府命ありて出仕の官人長髪お許さる、