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叢桂亭医事小言

傷寒
和漢一般に、歳暮年頭より五節句に至までの儀式は、皆疫お除くの事也、叢桂偶記に詳にせり、返す返すも仲景何ぞ其多き疫お置て、少き傷寒お以て論お著せんや、肘后方曰、傷寒、時行、温疫、三名同一種耳、而源本小異、又貴勝雅言総名傷寒、世俗因号為時行と見ゆ、又小品方に、傷寒是雅士之辞、雲天下瘟疫、是田間之号耳、又張果医説、古今病名不同、篇曰、古人経方多雅奥、以痢為滞下、以蹶為脚気、以淋為癃、以実為秘、以天行為傷寒、此言可以発千載聾瞶也とあれども、疫と雲もの正名にく、其の外の名は医家にて名付たる也、如何どなれば正史に疫と記す、是は国政に過失あれば、天地の気候其の正お不得して、人民疫疾お患るに至る、人君おして其の過お改めしめんが為に、史官正く記するの故に疫お正名とす、疫の字義は其の流行するにあまねく、戸々に病て徭役にあたるが如くなる故に、幾に従て疫とは雲也とみへたり、是乃伝染の病也、