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玉勝間
十四
裳瘡
続紀に、天平七年、自夏至冬、天下患豌豆瘡、〈俗曰裳瘡〉夭死者多、これ皇国にて裳瘡のはじめか、されどここの記しざまは、はじめてとも聞えざるがごとし、また延暦九年にも、是年秋冬京畿男女年三十巳下者、悉発垸豆瘡、〈俗雲裳瘡〉臥疾者多、其甚者死、天下諸国往々而在と見ゆ、垸字は豌お誤れるなるべし、此瘡の名、これより後の書には、皰瘡といへり、皰、疱同じことなり、今の世にも、はうさうといふ、又いもといふ、されば昔もがさといへるは、いもがさの省きか、